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2006年11月11日 (土)

リュカ。「Vocalise」

リュカ。「Vocalise」
〜〜 理性と感情の狭間 〜〜

《内容》
翻訳家の隣の家。今日はパーティらしい。が、家の主の様子が変。ようやく聞き出せば、離婚して東欧へ渡り帰ってこないつもりらしい。そんな大切なことを教えてくれない悲しみと、そうしようとした本人の気持ちを理解しようという優しさと。

《一言感想》
負のオーラを持つファンタジー世界は美しい。統制がとれすぎて破綻がないように見えすぎるのは、かえって不満が残る。

《感想》
全体的な印象として、とにかく理性的な美しさで充満。死という理性の対極的存在をあえて持ち出して、理性的な美学というものをそこに匂い立たせようという目論見は、ひとまず成功したと言えるのではないか。

登場人物は、ほとんど皆、非現実的なほど理性的。死にゆく当人は、存在が「消えゆく」という方法でこれまでの人生に対する対処を希望するし、そのおよそ非常識な希望に対し、周囲の人間も、感情的には納得できなくとも、理性としては、そういう希望を理解しようと、自分自身を説得するかのように見える。この態度は「理性的」という以外ないであろう。最後まで納得しない「部外者」の存在がなければ、現実とつながりようのないくらいの浮世離れした状況である。

にもかかわらず、この情景は、ある種の美を具現化したものに見える。現実の社会において、諸々の事態に対し感情的でなく理性的に対処し、説得と納得による合意を得る方が好ましいと、現状は要請されている。

もちろん、現実はそんなに簡単ではなく、もめ事から大げんかに発展するわ、感情的しこりから疎遠になるわなど日常茶飯事であるが、しかし、この物語は、そういった浮き世の喧噪から一段高みに上がった、理想の「美しい」世界に見えるのである。そう考えれば、この物語は、結果は必ずしも幸せなものではないのかもしれないが、しかし、ファンタジーとして、ある理想を描いていると言える。

そのファンタジーを具体化する演出もまた、きわめて理性的である。客席に挟まれたステージで上演され、場面から退場した役者もステージから一段下がったところで姿を見せたまま待機しているし、玄関の呼び鈴を鳴らすのもその待機している役者の役目。そして何より、ステージの向こう側には観客席が丸見えなわけである。この状況において芝居の物語世界が成立するためには、「向こう側の観客は見えないことにする」「ステージを下りた役者は見えなくなったことにする」といった『お約束』の存在が不可欠となる。つまり、観客は『お約束』を受け入れ、「理性的対処」によってこの芝居を観ることになる。これは、この物語のモチーフを別の方法論で明示化したものであり、その工夫は理解できる。

ただし、この戯曲に関していえば、この演出手法によらずとも戯曲の物語世界を舞台化することは可能であったと思われる。この物語全体の枠組みは、確かに、理性的なファンタジーであるが、しかし、シーン一つ一つ、言葉のやりとり一つ一つといった芝居のパーツは、日常性とリンクすることで説得力を出そうとしているものと考えられる。言い換えれば、物語全体を積分すればファンタジー、物語各所を微分すればリアリティ、という仕組みになっているのである。

ここからは好みの問題であるが、今回の演出は「理性」という一点のみを大きくクローズアップしたように感じた。これは、ファンタジーという物語全体構造へいたる中間要素にスポットライトを当てる効果はあろう。しかし、全体のファンタジーそのものを補強したり、各シーンの微分的リアリティを補強したりする効果は果たしていないように思われる。

芝居中の会話や、立ち振る舞いのこなれ方、役者の舞台での存在感は全体の美学を表出するに十分な、そして、微分的リアリティを支えるのに十分なレベルであったと思われるので、その先の演出的工夫の方向性は、やや考えすぎの感が否めない。

もう一つ、この物語はあまりにも理性的すぎて、破綻がなさすぎというか、統制がとれすぎてしまっている感も払拭し得ない。

人知を越える事態としては、主人公がガンになったということだけな訳であるが、これだけでは、理性をファンタジーにまで昇華するには物足りない感じがする。これも好みの問題だが、人知を越えた事態に直面し、理性的にせよ感情的にせよ、何か対処した結果、もう一つくらい人知を超えた事態・感情に陥って、その極限でなお、理性と感情の狭間で揺れていたら、ファンタジーとしての「凄み」が出るような気がするのだけれど。

物語の形式的な回収装置として、隣の翻訳家のエピソードという仕組みがきちんと用意されているわけであるし、もっとドラマを作ってしまっても、美学に反しないような気がするわけであるが。深みの出そうなテーマ・構造なのに、あまりにあっさりしていたので、ちょっと惜しいと感じたのである。

《06年11月3日ソワレ観劇》

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